名ばかりJKの色々

名ばかりJKの日々の記録。苦悩は尽きない

中学校の進学実績が(比較的)優秀だったのは…

私の通っていた中学校は、多くの記事で書いた通り荒れていてレベルの低い所だった。



当然、私が今通っているトップ高への進学者も少ない。



割合で言えば、年ごとで大体100人に1人くらいしか進学しない。



酷いときは、学年で1人しか進学しなかったこともあるくらいだ。



地理的には十分通学できる位置にあるのに…



一つ上の代では、せっかく進学したのに中退してしまった人もいる。



そんな酷い進学実績を誇る中学校だが、私の代は少し違った。



なんと、クラスに1人くらいの割合でこのトップ高に進学する人が出てきたのだ。



この高校に限らなくても、2番手校などレベルの高い高校に進学する人が例年より多かったし、不合格になる人も少なかった。



私の通う高校の志望者は、志望変更した人を除けば全員が合格した。



なぜ、中学校の私の代は優秀だったのか?



おこがましいかもしれないが言おう。



それは私がいたからだ。













これは一体どういうことなのか。



私は、良くも悪くも勉強に特化した人間だった。



小学生の頃から勉強ができるせいで〇〇先生と呼ばれ、いつも成績は一番。



それ以外のこと(特に運動)は一切できず、性格も変わっていていつも一人でいる。



要は、典型的なガリ勉だったわけだ。



そんな私は生徒会の役員だったこともあり、友達が少ない割には目立っていた方だった。



なので、学年全体に勉強に関して良い影響を与えられたのではないか。



私が他の代の学年トップより頭が良かったとは思わないが、勉強のできる人というイメージは強い方だったと思う。



学年トップの中にも、勉強のできる人というイメージが嫌でそれを隠したり、勉強以外のことも何でもできたりいろいろな人がいる。



特に、前者に関してはあのようなレベルの低い中学校ならよくあることだ。



私みたいに孤独を望むような人でなければ、勉強ができることで避けられるのは嫌だろう。



しかし、私はそのどちらでもなかった。



どれくらい優秀なのかはさておき、とにかく勉強ができるというイメージさえ強ければ、それを見た他の人は影響を受ける。



特に、私に続く学力、すなわちトップ高に届くかどうかというような学力の人には影響を与えられたと思う。



もちろん本人の努力が一番だとは思うが、微力ながら私も力を与えられたのかな…?と感じたのだ。













ここで伝えたかったのは、環境による学力の変化だ。



やはり、レベルの低い中学校からトップ高に進学できるのはほんの一握りである。



しかし、環境が少しでも改善されれば可能性は一気に変わっていく。



中学校の進学実績が(比較的)優秀だったのは、環境の変化によるものが大きいだろう。