名ばかりJKの色々

名ばかりJKの日々の記録

ブログ「名ばかりJKの色々」 さようなら

いよいよこの日がやって来た。



通算200記事を達成したと同時に、とても長い休止期間に入る前の最後の記事となる。



私は、この記事をもってブログ「名ばかりJKの色々」の更新を停止する。



ブログの更新を通して、私はいろんな経験をすることができた。



自分自身を見つめ直したし、色んな人と出会うこともできた。



ブログを書いていなかったら、今の私とはまた違った自分が現れていたのだろうと思う。














これからは、ブログの更新をやめて受験勉強に専念したいと思う。



何事も早めに取り組むこと。



それが勉強においては一番の近道だということを知ったからだ。



明日から私は3年生、つまり受験生になる。



第一志望合格にむけて、精一杯頑張っていく。



そして、大学受験が一通り終了したら必ずこのブログに戻ってくる。



時期は、来年の3月半ばくらいだと思う。



この頃には受験が終わっただけでなく、高校も卒業している。



たとえどんな結果になったとしても受験の結果を報告したいし、それ以外にも伝えないといけないことがある。



その時まで皆さんには待っていてもらいたい。



それでは…



ブログ「名ばかりJKの色々」を長い間読んてくださり、ありがとうございました!



また会うその日まで、さようなら

Rewrite 「簡単に自己紹介」

このブログも一旦更新が停止するまであとわずか。



そんな中、最後にリライトするのはこの記事!



nabakarijknoiroiro.hatenablog.com



ブログを通して文章を書くということを1年以上続けた私は、この頃から大きく変化した。



だから、この自己紹介文は正しくない。



今、私が改めて自己紹介するならどんな文章を書くか。



最初から2番目に書いた記事を、最後から2番目の記事でリライトしたいと思う。














「簡単に自己紹介」





さて、ブログを通した自分の変化を見つめるために自己紹介をしよう。



私はこの春から高校3年生になる女子である。



私は…とにかく人とは違う、変な人だ。



ちょっと簡単に羅列すると、

○いつも孤独で、それが楽だけどブログを通してたくさんの人と知り合えた

○勉強に異常な執着心があり、高みを目指している

○家族関係は複雑だが、最近見つめ直すことができた

○色んな障害、病気を持っていてうまく付き合おうとしている

○死の願望について考えていたこともあった



まあ、普通の同世代の人よりは複雑で、色々な経験をしてきた。



詳しい話はこのブログで全て書ききることができた。



文章を通して、自分自身を見つめ直すこともできた。



あとは大学合格に向けて頑張るだけだ!

父とハンチントン病②

__ハンチントン病は50%の確率で子に遺伝する



前回書いたこの文章は、まぎれもない事実である。



私がこの事を知ったのはいつだっただろうか…



少なくとも、小学生のうちにはハンチントン病の全てを把握していた。



はっきりとした記憶がないほど、幼い頃に知ったのは確かである。



また遺伝した場合、この病気は下の世代に行くにつれて重症化する。



ある染色体が一定の長さ以上に伸長するとこの病気を発症するのだから、当然その染色体が長くなればなるほど発症する時期は早くなり、重症化する。



そして、病気が遺伝するときこの染色体は必ず親よりも長くなっている。



治療法は無いのに、どんどん重症化していく病気…



それがハンチントン病だ。



ハンチントン病は優性遺伝の法則に基づくので、その染色体を父母どちらから受け継いだかによって発症するかどうかが決まる。



私の場合、父から受け継いでいれば100%発症するし、母から受け継いでいれば絶対に発症しない。



どちらから受け継ぐかは2分の1の確率だから、子に遺伝する確率は50%になるわけだ。



そして、こちらは理由がはっきりしないのだが、ハンチントン病は父から受け継いだ場合に早期発症、重症化しやすいらしい。



これらの情報を踏まえれば、私はとりあえず40歳くらいまではハンチントン病に注意して様子を見なければならないだろう。



その年齢まで特に何も起こらなければ、めでたいことに私は生涯発症しない。



つまり、遺伝していないというわけだ。



逆に遺伝しているのなら、かなり重症化することが考えられる。



発症する時期が今であってもおかしくはないのだ。















では、父の他にハンチントン病を発症した家族がいるのか?



実は、誰一人いないのである。



これまで典型的な経過をたどってきた父だが、ここだけは珍しいと言われた。



診断された当時から今まで、まだ誰も父以外に発症した人はいない。



祖父母に聞いてみても、特に思い当たるような人はいなかったと言う。



この場合、考えられるのは2つのパターンだ。



1.父の家系ではなんとなくハンチントン病の気はあった。
しかし、染色体の伸長があまり進んでいなくて今まで誰も発症せずに済んだ。(いわゆるグレーゾーン)
そんな中、父だけが特に伸長して発症した。



2.今までハンチントン病の気は全く無かったのに、父が最初のハンチントン病患者になってしまった。
何らかの原因で、染色体が異常に伸長した。



可能性が高いのは1のパターンだ。



下の世代になればなるほど重症化するのだから、子どもが先に発症するというのはそこそこ多い話である。



2のパターンは、特にアジア人では極めて珍しい。



ハンチントン病は、欧米人には一定の割合で見られる病気だがアジア人にはほとんど見られない病気だ。



もしこのパターンだったとしたら、とんでもなく不幸だとしか言いようがない。














ハンチントン病患者の子どもにとって、このような事実は将来を大きく揺るがす。



私もそうだ。



単に父親という存在が歪められるだけではない。



治療法は無く、いつ発症するかも分からない、そもそも発症するかどうかが分からない病気と長い間向き合わなければならないのだ。



しかし、この病気は遺伝子検査をすることで発症するかどうかを調べることができる。



私はまだ遺伝子検査をしていないし、これからもするつもりはない。



まず、未成年者は遺伝子検査ができないようだ。



成人すれば(私が18歳になれば?)、本人の意志で検査ができるようだが、そもそもこの病気を発症すると知ったところで手の打ちようが無い。



だって、治療法は無いのだから。



遺伝子検査が必要なのは、子どもを考えたタイミングだと思う。



この病気のことを知っていて子どもを作るのは、個人的には無責任だと思う。



女子は自分の子どもは必ず認知するので、なおさらだ。



私は、最初から子どもは作らないと決めている。



それは、ハンチントン病の遺伝(私の子どもに遺伝する確率は25%)のせいだけではない。



これまで書いてきた発達障害のこと。



自閉症などは、かなりの割合で子供に遺伝する。



これは明確なデータがあるわけではないが、客観的な検証もされているし、私の身の回りでもそういう傾向があるのだ。



それに加えて、私の子育てに不向きな性格や体力の無さ。



そもそも相手がいなさそうな気もするが…w



しかし、万が一のときに備えるのは必要だろう。



いろいろ考えたときに、やはり最大の決め手となるのがハンチントン病の遺伝だ。



幸いにも、私には兄弟がいない。



だから、最悪私に遺伝していたとしても、私さえ子どもを作らなければハンチントン病の遺伝が続くリスクはかなり少なくなる。



(ダントツで可能性が高いのは私だけだが、叔父やいとこ、甥っ子姪っ子がすでにたくさんいるのでここに遺伝する可能性も若干ある)



この負の連鎖を止められるかどうかは、すべて私の意思次第なのだ。



だから、私は子どもを作るべきではないし、作ってはいけない。



私はもともとそうやって割り切れる人だから良かったが、子どもを産みたい派の女子だったらどうか。



これこそ、その人の人生設計は崩れて将来を大きく揺るがされるだろう。














これがハンチントン病の遺伝に関する事実と、当事者の子どもとしての感想である。



実際、いつ発症するかも分からない病気と向き合うのは怖さがある。



怖いから、遺伝子検査を受けないのだ。



しかし、ハンチントン病にも希望の光が見え始めた。



私はこの記事を書き始めるまで、しばらくハンチントン病から遠ざかっていたので見失っていたことが多かった。



いくつか紹介したいと思う。














ハンチントン病は、日本では患者数の少ない珍しい病気である。



それに治療法がないことから、国指定の難病にもなっているのだが知名度は極めて低い。



今、国の難病指定を受けているハンチントン病患者は全国で900人くらいかな?



また、症状がまさに奇病のそれなので今まで当事者やその家族が声を上げることも少なかった。



だから、よくある患者の会みたいなものはハンチントン病には存在しないと思っていた。



しかし、実際には20年以上前からそのような集まりが存在していた。



日本ハンチントン病ネットワーク
https://www.jhdn.org/



これだ。



数年前に調べたときはホームページが見つからなかったが、しっかり存在していたのだ。



このような集まりがハンチントン病にもあると知って、私は少し安心した。



それだけではない。



未だに見つからない治療法。



しかし、大阪大学の研究によってハンチントン病を根本から治療する低分子化合物が見つかったのだ。



ハンチントン病の根本的治療へ道ひらける
https://resou.osaka-u.ac.jp/ja/research/2020/20200215_1



難しい内容を噛み砕いて説明してくれているので、ぜひ読んでみてほしい。



この化合物は、ハンチントン病の直接の原因である塩基配列の異常なリピートを減らすことができる。



__異常に伸びたリピートを短縮できるという発想すらありませんでした。



と記事の中で述べられている通り、この研究はハンチントン病だけでなく遺伝子治療全体にとって画期的なものらしい。



どういうことかというと、これまで遺伝子治療というのは、何か異常な遺伝子があったときにそれを正常な遺伝子に置き換えるというのが基本だった。



だから、異常な部分を直に改善できるという発想は私たちにとっては自然なものだが、その道の人にとっては考えられない発想だったという。



画期的な発見がハンチントン病の研究でされたというのは、嬉しいことだ。



一般的な薬品が完成するまでの期間を考えると、実用化されるまでにはまだ時間がかかる。



ハンチントン病発症のピークである30代までは、あと13年くらい。



スムーズにいったとしても、結構ギリギリになってしまうというのが現実だ。



それに、必ず実用化ができるという保証もない。



しかし、これまで何の手がかりも無かったことを考えれば、ハンチントン病の治療にとって大きな光となることは間違いないと思う。














これが、私がハンチントン病について知っていること、父の発症を通して考えたことと現状の全てである。



このブログを始めてから書こう書こうとばかり思うだけで、なかなかはっきり書くことができなかった父のこと。



しかし、受験生としてけじめをつけるためにブログを中断すると決めてから覚悟もできた。



私が今まで向き合ってきた最大の障害をもう一度見つめ直し、文章にした。



ハンチントン病はとても患者数の少ない病気であり、個人の体験談をネット上にアップしている人は少ししかいない。



知名度なんて全くない私だが、それでも一個人としてネット上に記録を残したいと思った。



それが、私が今までで最長の記事を2本も投稿した真意の一つである。



これまで苦しめられてきたことが多かったが、だからこそ今の強い私がいる。



心の底からそう思えるようになったら、私も成長したと言っていいのかな…?

父とハンチントン病①

このことを書き始めるには勇気が必要だった。



なぜなら、書いたところで見えるのは絶望しか無かったから。



あまりにも知名度が低く、発信してみたところで誰も知らないだろうと思い、父は難病だと書いたきりだった。



しかし、私は医療の進歩を見逃していた。



それに、私はこのブログを通して自分自身と向き合う時間を得ることができた。



そんなブログを書いているのに、父の病気のことを避けて記事の更新を終わらせるわけにはいかない。



この病気は、私の今後の生き方にも大きな影響を与えている。



改めて事実と向き合う日がやって来たのだ。















私が物心ついたとき、既に父は変だった。



まあ私自身はそういう父の姿しか知らないので、何が変なのかと言われれば今でもよく分からない。



一般的な表現を借りるなら、



・不随意運動(自分の意思とは関係なく、勝手に体が動く)が寝ているとき以外は常に起こる



・精神症状(うつ、怒りっぽいなど)が見られる



・脳が委縮するため認知症とほぼ同じ状態になる



代表的な症状を挙げれば、こんな感じだろうか。



最終的には寝たきりになって、誤嚥など病気自体の進行ではなくそれに伴う何かで死んでしまう。(食事中むせやすくなるのも初期の症状の一つ)



これこそが、私の父が持つ難病「ハンチントン病」だ。



さらに、この病気は根本的な治療法がない。



病気の進行を抑える薬はあるが、病気自体を完治させることは不可能だ。



なぜなら、この病気は遺伝子(DNA)のある部分が異常な状態になることで発症するものだから。



詳しく言うと難しくなるので省略するが、簡単に言えば、人間の持つ46本の染色体のうちある1本が異常に長くなることが原因で起こる。



単純に考えれば、この異常に長い染色体を普通の長さに戻せれば病気を治療できるのだが、今の医療技術では生きている人間の染色体に何らかの治療を施すのは不可能だ。



だから、この病気の治療法は存在しない。



国指定の難病にもなっているのだ。



この病気を発症する年齢として、多いのは30代から40代くらいの中年である。



まれに10代など若い年齢で発症することもあり、その場合は病気の進行が早く重症化しやすい。



逆に言えば、60代など高齢になればなるほど症状の進行は遅く、あまり症状が出ないこともあるらしい。



基本的に、この病気は進行する速度が非常に遅い。



中年で発症した一般的な患者の場合、発症してから死ぬまでに10年から20年くらいの時間が経っていることが多い。



ハンチントン病は非常にゆっくりと患者たちの体を蝕んでいくのだ。



だから、本人の負担はもちろんだがそれを介護する家族の負担も大きい。



特に、中年で発症した人だと結婚して子供もできてさあこれから!という時に完全に人生計画が狂ってしまう。



(実は、子供にとってはそれ以上に重大な問題が潜んでいるが、このことについては後述する)
















父の様子がおかしくなったのは、おそらくハンチントン病の発症時期としては最も多いであろう30代後半くらいの時だったと思う。



父は37歳で結婚し同じ年に私が生まれた頃から、40歳くらいで家を買う時くらいまでに発症した。



最初は物をよく落とすとか、怒りっぽくなるとかいう些細な症状から始まったらしい。



そのうち、ずっと働いていた仕事現場でも仕事が上手くできなくなって、リーマンショックが重なった時期にクビを切られた。



転職しようとしても、求人内容が分からず覚えられず結局職には就けなかった。



当時母は専業主婦で、収入は一気に無くなった。



私が今まで書いてきた貧しい家の暮らしは、ここから始まったのである。



このくらいの時期に父と母は病院に行ってハンチントン病の診断を受けていたはずだが、私はまだ幼稚園児だったので具体的なことはあまり分からない。



難病の父を抱え、私は発達障害の影響が残る中で小学生になった。



この間、父はまだハンチントン病の初期~中期に差し掛かったくらいでかなり危なっかしいが歩くことも出来ていた。



簡単な調理ならできたし、パンやインスタントラーメンをよく一人で食べていたと思う。



完全な介助は必要としない、いわば中途半端に症状が出ていて今みたいに長期入院させることも不可能だった。



障害者手帳と障害者年金をもらいながら、毎日食べるのが精いっぱいな経済状況の中で父を自宅介護するしかなかった。



とは言っても、私はまだ小学生だったのでほとんどすべての負担は母にかかっていた。



このころ出ていた症状を色々と挙げてみる。



まず、不随意運動。



起きている間はずっと動いている。



フラフラと踊るように動く感じで、まっすぐ歩くことはもちろん出来なかった。



私が10歳になるくらいまで、父はこの状態で散歩に出かけていたはずだがよく車に轢かれなかったなと思う。



認知症でもあったので、相当危なかったはずだ。



家の中では食事トイレ風呂以外の時間は寝転がっていたが、顔をしかめたり手先足先がよく動いていた。



家具にぶつかってあざができることなどしょっちゅうだったし、一度家の階段から転げ落ちて骨折してしまった。



その時は入院したが、入院先に父を運んでいくのも大変そうだった。



食事中は箸を使うのがとても難しそうだった。



食べ物は絶対に机の上にこぼれてしまう。



きれいに食事することが不可能だった。



とにかく勝手に動いてしまうので、トイレはまともにできないし風呂の中でも常に壁に当たっていた。



家具や風呂の中の器具など、家の様々なところが壊れてしまった。



また、常に掃除をしないと家が散乱して汚くなってしまう。



生活の様々なところで介護が必要だ。



それから、この不随意運動を一日中していると体力はかなり消耗する。



つまり、食べても食べてもどんどん瘦せてしまうのだ。



父はもともと太い方ではなかったが、ハンチントン病を発症してからはガリガリになってしまった。



ただでさえ貧しい生活なのに、父の食費だけはかさんでいった。



しかし、父の不随意運動は寝ている時だけ完全に収まっていた。



この父が寝ている時だけが、私たちにとって家の中で心休まる時だった。



だから、私は父の寝ている夜中に起きるようになった。



長期休み中は絶対に昼夜逆転生活をすると決めていた。



この悪い生活習慣が今でも染みついていて、なかなか抜け出すことができない。



次に、精神症状について。



これもよくある話なのだが、怒りっぽくなったようだ。



しかし、私はもともとの父の性格をよく知らないので分からないことが多い。



病気を発症する以前から亭主関白でろくな人でなかったとは聞いているので、私を小さい頃虐待して殺しかけたのも病気ばかりのせいにはできない。



どのみち父にとって私は不要な存在、それどころか邪魔な存在だったのだろう。



最後は認知症のこと。



この病気を発症すると、脳が委縮して認知症のような症状が出てしまう。



父の場合は、同じ行動をルーティン化して毎日繰り返すところが認知症と非常に似ていた。



先述の仕事ができなくなるのも、この脳の萎縮が原因の一つである。



また、病気が進行していくとコミュニケーションを取ることもできなくなる。



私は父とほとんど会話したことがない、と前にブログで書いたはずだが、それはこの病気による影響が大きい。



しかし、原因はこれだけではない。



自閉症が原因で私の発語が異常に遅く、やっと喋れるようになったころには入れ替わりのように父があまり喋らなくなっていた。



それに、もともと父は無口で亭主関白、私も仮に父が普通の人だったとして自分の性格上会話はあまりしないような気がする。



もともとの特殊な状況に加えて、認知症が追い打ちをかけた。



末期となった今は完全にコミュニケーションが取れない。



このように、父はある一点(次回に後述)を除けば典型的な病状をたどっている。



私が小学生の間、この状態がずっと続いていた。



少し状況が落ち着いた今、改めてこの状況を客観視してみるとかなりきつい環境に私たちはいたのだと思い知らされる。



特に私と母は、今思えばよく気が狂わなかったなとさえ思う。



いや、もしかしたら内心は狂っていたのかもしれない。



私に限って言えば、一番辛かったのは小学校6年生の時だ。



いろいろな世の中の現実が分かってくる中で、父の病状は悪化する一方だった。



半ば発狂しながら介護する母を見て、自殺する方法をよく考えていた。



今自殺しないとしても、これから先死にたいと思った時にどういう方法なら楽に死ねるのか…



そんな方法は無いのだが、ずっとこんな考えが頭をよぎっていた。



メンタルが強い(というか感情が無い)と自負している私でも、さすがに勉強までは気が回らなかった。



公立高校から難関大へのルートをたどる人の中には、小学生時代によく遊んでいたという人も多い。



しかし、私はこの間にメンタルを強くするための苦行を受けていたのだ。














中学校に入学してすぐの頃、父は私の家から離れることになった。



すぐ近くの祖母(父の母)の家に引き取られたのである。



この祖母と母は昔から仲が悪く、私はお互いの悪口を聞きながら育っていた。



いわゆる嫁姑問題が父のことに関しても勃発して、話し合いの結果こうなったのだ。



家の中にはしばらく平穏が訪れた。



しかしこのブログの「中2の手記」シリーズで書いたように、私の中学校生活はとても陰惨で何も楽しいことがなかった。



もちろん、小学生時代と比べても段違いにひどい。



家がマシになれば今度は学校が地獄になり、何もかも上手く行く人生は決して無いのだと思い知らされた。



2年ほどこの状態が続いたが、中3になる春のとき、いろいろな事情が重なって再び父が私の家に戻ってきた。



この2年の間に、父の病状は一気に悪化した。



それまでは何とか自力で歩いたり、食事をしたりトイレに行ったりできていたが、これらは全てできなくなって完全な寝たきりとなった。



一気に末期患者となってしまったのだ。



このまま全ての介護をしなければならない日が続くのかと親子で絶望したが、そんな日々は2か月ほどで終了した。



病院の手配が上手くいって、格安で父を長期入院させることになったのである。



これまでは病気の進行がそれほど進んでおらず、どこの病院にも入院を断られていた。



ハンチントン病患者は末期まで症状が進んではじめて長期入院できるのだ。



それからは、私の受験生生活も比較的安定した状態で進み、今通う高校に合格。



あれから何度か転院はしているが、一度も家に帰ってくることはなく高校生になり今に至る。



この間、私たちはようやくまともな精神を取り戻し、経済状況も少しだけ余裕ができた。



1年前からはコロナの影響で顔も見に行けていない状況だが、父は現在も寝たきりだという。



あれだけ元気に食べていたご飯も少し勢いが無くなった。



見舞いに行ったとき、私には一切反応せず母には少し反応していたのだが、今はその反応も薄い。



寿命はあと数年だろう。
















これが父のハンチントン病と、それを間近で見てきた私の記録である。



しかし、ハンチントン病と接点のある方なら気付いていることがあるはず。



私はあえて、ハンチントン病について重大な要素を一つ書き漏らしている。



それは、










ハンチントン病は50%の確率で子に遺伝する










ということ。



次回は、この遺伝について子である私が向き合わなければならない事実について書いていく。



そして、私がつい最近まで見逃していたことや、ハンチントン病に関する希望についても文章にしていく。



最後に、私がこのような記事を執筆した真意も伝えたい。

最後の模試成績公開!

高2、1月の進研模試の結果が出たので公開する。



はじめて5教科受験する模試だ。



たぶん、模試を受ける時期のことを考えるとこれが最後の成績公開になるはず。



まずは教科ごとの偏差値から!



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進研模試は決して問題の質が悪いわけではないが、いかんせん受験者のレベルが低い。



だから、他の有名な模試に比べるとかなり偏差値が高く出る。



国語数学英語は、いずれも偏差値70を突破した。



1年生のときに受けた進研模試の、あのいびつな成績は忘れられない…w



それに対して、理社の成績がかなり弱い。



現役生の弱点がモロに出てしまったようだ。



全体として、国数英の成績は前回の進研模試よりも良くなっている。



しかし5教科で見るとまだまだ足りないところがあるので、しっかり理社を埋めていかないといけないようだ。



(目標得点に達した教科が一つもないのは秘密…)











次は、志望校判定の結果発表!



第四志望から順に第一志望まで順に発表していく。



まずは第四志望から!



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ここで出てくるのは初めてかな?



滋賀大学データサイエンス学部という、マニアックで知っている人は少ないだろうところを選んでみた。



そもそも、データサイエンスって何だ?という人が圧倒的多数だと思うが、正直私もよく分からないw



滋賀大は、このデータサイエンスという学部を創設した初めての大学だそうだ。



しかし志望内順位3位という結果からも分かるように、私の志望するレベルの大学ではないらしい。



まあ、結果は参考程度にはしておこう。



次は第三志望!



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いつも出てくる大阪大学の結果は、B判定ということになった。



注目してほしいのは学部内人数に対する学科内人数の多さで、なんと半分の人が情報系の学科を志望しているらしい。



阪大の基礎工学部は4つくらいの学科に分かれているはずだけど…



このあと出てくる大学もそうだが、改めて情報工学の人気の高さが分かる。



次は、第二志望の発表!



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こちらもいつもの大学、工繊大は安定のA判定!



そして、最後に第一志望のあの大学の判定結果は?



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京大工学部情報学科、ギリギリのC判定!



最近は、どこの模試を受けてもこんな感じの結果が続いている。



あまり学力が変わっていないようだ。



第一志望を貫くのなら、まだまだ危ない状況は変わらない。



この危険な状況を脱するためには、勉強するしかないということを改めて認識することができた。











最後の模試成績公開も、私の学力が原因で何ともいえない中途半端な感じで終わってしまった。



今後は一人で模試の結果を見つめることになるが、誰が見ても納得の行く良い結果を残していきたい。



そして、希望の大学に受かりたいと思う。

1年頑張れば、教科ごとの勉強法が見えてくる

これは高校の話。



高校生になると、勉強する教科は新しくなりその分量は増加する。



国語は現代文と古文、数学は1A、2B、3、英語はコミュ英と英表、理科は化学、物理、生物、地学、社会は地理、日本史、世界史、公民…



新しく増える教科はもちろん、小学一年生の頃から習ってきた教科でも勉強法がさっぱり分からなくなる時があるのだ。



だから、はじめての定期テストで平均点を大幅に下回ることがある。



ショックかもしれない。



それでも、勉強法が分からない教科には必死で食らいついてほしい。



1年頑張れば、教科ごとの勉強法が分かるようになるから。



うまく知識を吸収するためのコツが見えてくる。



勉強法が分かれば、テストの点数が上がってその教科の勉強が楽しくなり、やがて成績も安定してくるだろう。



まずは1年頑張ってみること。



いろいろと見えてくるものがあるはず。

Twitter「名ばかりJKの色々」 停止




タイトルの通り、昨日「名ばかりJKの色々」Twitterは新しいツイートを停止することを発表した。



理由はいろいろある。



勉強に向ける気持ちが強くなってきたこと。



ここ一ヶ月くらいは、全くTwitterを開いていなかったこと。



Twitterを始めてから1年が経ち、目標としていた期間の運用はクリアしたこと。



ブログの記事を更新したときの自動ツイートは続けていくが、これからはもう私のツイートを期待しても無駄だ。



このブログも終わるまであと少し。



先にTwitterは終わってしまったけど、「名ばかりJKの色々」ブログはこれからもよろしくお願いします!!