名ばかりJKの色々

名ばかりJKの日々の記録。苦悩は尽きない

勉強でトップを目指す原点となった、小4の出来事②

前回の続き。



これといった勉強もせず、生まれ持った地頭の良さだけで小学校のテストを乗り切っていた私。



それは発達障害のおかげ(?)なのだが、いつの間にかクラスメイトとは学力の差が生まれていた。



そして、小4の冬のある日。



隣の席に座る男子が、突然こう言った。



「〇〇(私の下の名前)先生、これ教えてよ!」













…は?



一瞬何の事なのか分からず、ポカンとしてしまった。



しかし、その言葉は確実に私に向けられている。



「〇〇は賢いから、これから〇〇先生な!」



私がこれは一体どういうことなのかと聞くと、その男子は続けてこう言った。



つまり、私は勉強ができることが原因で、〇〇先生というあだ名をつけられたのだ!



これは、私の人生で初めてつけられ、おそらく最初で最後のあだ名だった。



あだ名の由来は、私が単に勉強を得意としていたことだけではないと思う。



当時の私は、率直に言えば暴力的、威圧的であった。



もともと、家の中では私が体罰を受けるのは普通であり、(母にとって)悪いことをしたらよく母に殴られたり、大声で叱られたりしていた。



また、この頃は父の病気が悪化してきており、介護と育児と仕事をしなければならない母の心労やそれに一人で耐える私の心労もあった。



その結果、母が父に対して大声で怒鳴ったり、より力のある父が母に反撃したり、はたまたそのとばっちりが私に飛んできたり…



とにかく暴言と暴力が普通にあって、病気の父はさておき母と娘である私にはいろいろな面で余裕が無かった。



事情を考慮してもあってはならないことだが、同級生の女子を叩き、泣かせたこともあった。



周りから見たら、私は「ちょっと男子〜!」的なノリの人であり、その威圧感が本当の先生に似ているということからこの名前が来たのだろう。



(自分としては、そんなつもりは無かったのだが。)



もちろん、今は暴力をふるっていないが威圧的なところは変わっていない。













このあだ名は、すぐに学年中へと広まっていった。



特に男子は私のことを〇〇先生と呼ぶのが良いらしく、勉強に関係ない場面でも大体そう呼んでいた。



しかし、女子は違った。



誰も私のことを〇〇先生と呼ばなかった。



なぜ男女でこれほどの差が生まれるのか。



母いわく、女子はプライドがあるから私をそう呼ばないのだそう。



同性なので、余計プライドが邪魔するのだろうか。



とにかく女子って面倒くさい…



話が逸れてしまったが、この呼び方は中学校の最後まで続くことになった。



実に5年以上、この呼び方は続き同学年だけでなく他学年の一部の人にも知られることになった。



何があっても〇〇先生、〇〇先生…







この事が、私の勉強遍歴において最大のターニングポイントであった。








一体どういうことなのか。



私は、このあだ名によって自分が賢いということを認識せずにいられなかった。



嫌でも自分は賢くなければならないという気持ちが生まれた。



つまり、このあだ名は私の勉強における高いプライドを形成したのだ。



これは、子どもの勉強における大きなモチベーションとなる。



特に、私の母はテストでいくら100点を取っても当たり前というスタンスで褒めてくれなかったので、めいっぱい褒めてくれる同級生の存在は大きかった。



実際、小学校ではほとんど家庭学習をしなかった私だが、中学生になった途端家で自主的に勉強するという習慣がついた。



自学を始めることになった直接の原因は無いはずだが、間接的な原因の一つにあだ名の存在があった。



自分は勉強ができなければ、もう〇〇先生と呼ばれることもない…



そういう気持ちが私を動かしていた。



結果、私は中学校最初の定期テストから学年トップの成績を叩き出し、その得点と〇〇先生の呼び名が他の小学校出身の人にも広まっていった。



この最初の成績が無ければ、〇〇先生というあだ名は無くなって、その後の私の成績も大きく下がっていただろう。



今通う高校も、受験するどころか目標にさえできなかったかもしれない。














これが、私が勉強でトップを目指すことになった原点。



今はもう、こう呼ばれることもない。



私はそこまで賢い存在ではなくなってしまったから。



しかし、あの呼び方は私を普通の同級生として見てないからこそ生まれたものだ。



そういう意味では、今普通に私のことを呼ぶ人の存在がありがたい。



〇〇先生は過去の存在として、封印しておこうと思う。