人生を変えた小5①
小5になった。
小4では、私の学力が原因で〇〇先生と呼ばれるようになったり、
かつての友達と別れて新たな友達を作ったりして、なかなか波乱万丈な学校生活を送っていた。
しかし、今回小学校の中で起こったことは更に波乱万丈な、人生すら変えてしまうようなことである。
小4で新たに仲良くなった女子たちとは再びクラスが同じになり、小5になってもその交流は続いていた。
その時点で形成されていたのは、私を含めて5人の仲良しグループ。
全員が同じクラスではなかったが、うち2人は5年生になってから新たに加わった子でいずれも仲が良かった。
だが、新たに加わった子のうちの一人。
この一人(以下Aとする)を巡ってグループは破綻し、悲惨な事態が招かれる…
それはしょうもないことだった。
Aは普段からおとなしく、勉強も運動も苦手な子ではあったが絵を描くのが得意だった。
みんなが集まる中でよく絵を描き、他の4人にその絵を誇らしげそうに見せていた。
それが、4人は気に食わなかったのだ。
私たちにとって、Aは自分の描いた絵を上手いと勘違いして自慢してくる人と思われた。
しかしここで言い訳をしておくと、私はAが自慢をしてくると先に言い出したわけではない。
確かに少し自慢げなところはあったが、いちいち悪口を言うほどではないと感じていた。
それに、そもそも私はグループの4人の中でAとは最も疎遠であり、Aのことをあまり良く知らなかった。
他の3人のうち誰かがAのことを悪く言い始め、私はなんとなくその話に乗っただけなのだ。
だが、そんなことは関係なく私たち4人はAと距離を取り始めるようになった。
直接悪口を言ったり、他の人にそのことを広めたわけではない。
しかし、毎日絵を描くAのもとには近寄らず、4人で喋ったり遊んだりする日々。
Aは一人で絵を描く時間が増えていた。
そんなある日。
Aは体調不良で学校を休んだ。
次の日も体調不良。
その次の日も熱がひかずに体調不良で欠席。
結局、Aはその1週間すべてを体調不良で欠席したのだ。
勘の良い人ならお分かりだろう。
Aは不登校になったのだ。
体調不良というのは学校を休むための口実であり、Aはその後もずっと学校を欠席した。
さすがにこうなると、Aの噂は学年中に広まっていった。
Aが、いわゆる不登校であることは明らかだった。
そして、疑いの目は当然私たち4人に向けられた。
Aの不登校の原因が、私たち4人にあることもまた明らかだった。
不登校が長引き始めた頃、ついに学校が動き出した。
私たち4人は一人ずつ先生に呼び出され、Aに関するこれまでの経緯を事細かに聞き出された。
他の3人がどうだったのかは知らないが、私はこれまでに起こったことを詳細に淡々と語った。
そして、4人は一つの部屋に呼び出された。
詳しいことは覚えていないが、4人が語ったことをまとめ上げてその真偽を確かめるような感じだったと思う。
私はAと疎遠だったので、それまでに気づいてなかったことも多く知った。
この話し合いから数ヶ月後。
それは突然だった。
次回はAの回復とその後の話、このことに関する私の所感を書いていきたいと思う。