名ばかりJKの色々

名ばかりJKの日々の記録。苦悩は尽きない

自尊心が低いのか高いのか

私は、自尊心が低いのか高いのかがよく分からない。



昔はそんなことも無かった。



明らかに、自分は自尊心や自己肯定感が低いのだと分かっていた。



なぜなら、自分はこの世に必要の無い人間なのだとしか思っていなかったから。



私は、誰にも褒められなかった。



生まれたときから発達障害の特性がひどく、人に迷惑をかけていた。



まず、親は子どもを褒めるタイプではなかった。



父親はあんな感じなので論外として、母親は厳しく接するタイプだった。



発達障害は褒めて育てるなんて、ただの綺麗事なんだという考え方はここから来ているのだろう。



成長するにつれて特性は徐々に消えていき、学校ではなんとか通常学級に通うことになった。



そこで、自分は勉強ができるということが初めて分かった。



100点を取る度に親以外からはたくさん褒められたが、私はそれを素直に受け取ることが出来なかった。



自分が井の中の蛙であることが分かっていたからだ。



そして、勉強以外は特に能の無い私。



それを重く自覚して、中学校を卒業するまで苦しんでいた。



だから私の自尊心は低かった。













しかし、高校生になってから。



あの高校の生徒になってから、



そしてブログやTwitterなど様々なことを始めてから、



私は変わり始めた。



合格した高校は、プライドの高い人たちと空気感で満たされていた。



そりゃそうだ。



県でぶっちぎりのトップ校ならば、県外を見なければ簡単に天狗になれる。



別にそれが悪いとは思ってない。



私が言いたいのは、その雰囲気に大きな影響を受けてやはりプライドが高くなったということだ。



自分は勉強ができるというプライドが高くなった。



また、高校には恵まれた家庭環境の人が多かった。



たまに不遇な環境の人もいたが、それも他校の人と比べれば大したことじゃない。



それは私の自尊心を高くもし低くもした。



私はこんな家庭環境から這い上がってきて、こんなぬるま湯あがりのやつらと同等に戦えてるんだという自尊心と、



こんな優れた家庭環境があれば、何か違っていたのかもしれないというコンプレックス。



今も複雑である。



それに、今年に入ってブログやTwitterを始めるといろいろな世界が見えてきた。



私は意外と頑張れているんだということを実感できた。



結果、私の自尊心は高くなっていた。



ネットを通して広い世界を見れた、というのは大きかったと思う。














それでも、生まれたときからある自尊心の低さが完全に消えたわけではない。



今でも、自分はこの世に必要の無いものだと思っているし、望まれてできたものでもないと思っている。



私の中には、自尊心のとても高いところと低いところが混在している。



だから、私は自尊心が低いのか高いのか分からないのだ。