名ばかりJKの色々

名ばかりJKの日々の記録。苦悩は尽きない

あの子から離れていった小4

小4になった。



小3の時に引っ越してきた友達との関係は続き、クラスも同じになって仲良くしていた。



…途中までは。



秋頃になって、私は別の女子数人から遊びの誘いを受けることが増えた。



その中の一人とは小6の最後まで仲良くすることになり、私の人生で最も長い期間友達であった人でもあるのだが…



その転校生から私は少しずつ離れていった。



どうして、私はその転校生も含めてみんなで遊ぶということをしなかったのだろう。



今となっては誰にも分からないが、気持ちの合わない部分が増えていたのかもしれない。



私は、その子と2人で遊ぶよりも誘ってくれた複数人とで遊ぶほうが楽しかった。



そして、その転校生は一人でいることが増えていった。



もともと内気な性格であり、ずっと2人で遊んできた以上他の人に声をかけるのも難しかったのだろう。



しかし、原因はそれだけではなかった。



ここからは小学生の、そして私の醜い部分を見せることになる。














転校生と書くのが面倒くさいので、その子をAとする。



結論から言うと、Aは多くの人から嫌われていたのだ。



口が臭い、デブ、いつも服が同じなど…



実際にはどうだったのかというと、確かに口臭は少ししたし、ぽっちゃりしていたし、服は大体同じ(小学校は私服制だったので、生活の様子がよく分かった)だった。



しかし、それをみんなでコソコソ言い合うのは酷い話だ。



そもそも、見た目についてはどうすることもできない。



また、Aの家庭は裕福ではなさそうだったし、兄弟も多いようだった。



私は毎日違う服を着ていたが、それは一人っ子だから成し遂げられることであって、子どもは家庭の事情に逆らうことができない。



だから服のレパートリーが少ないのは仕方ないだろう。



しかし、この悪評は最初から広まったわけではない。



この噂を広めていた一人が…








私。








誰かからAのことについて聞かれたら上記のことを言っていたし、同意を求められるようなことがあっても否定しなかった。



そして、その噂はどんどん広まりAは誰からも相手にされなくなった。



しかし、よく考えてみるとAの性格について悪く言われることは少なかった。



だからAの性格には問題が無く、そのことを誰も分かっていなかった…



その点を踏まえると、酷なことをしたと思う。



こんなこともあった。



私が完全に別の子たちと遊ぶようになってから、Aは交差点で事故に遭った。



自転車に乗って横断歩道を渡っていたところ、車に轢かれて頭を何針か縫ったらしい。



後日、頭を包帯で巻いて学校にやって来たAに対して、私は大丈夫?の一言もかけてやれなかった。



私はあれだけAと仲良くしていたのに…



子どもは残酷である。



小4の最後、Aは完全に空気と化していた…














結局、5年生になるとAは別の小学校に転校していった。



理由は分かっていない。



私の住む地域は、仕事上の都合で短い間に転入、転出していく人が多い。



なので、Aに関してもそういった事情があったのかもしれない。



しかし、そうでなかったとしたら考えられる理由は…













高学年の女子特有の、難しい人間模様だった。













小4の話は他にもある。



次回は、人間関係についての話ではなくこんな胸糞な話でもない。



自分の勉強遍歴を語る上では外せない、ターニングポイントとなったある出来事について書いていきたいと思う。