名ばかりJKの色々

名ばかりJKの日々の記録。苦悩は尽きない

自学スタイルの原点は、小学生時代にあった

私はこれまで、勉強というものを自分なりの方法で突破してきた。



誰からもそのやり方を教わることなく、学校の授業と自習のサイクルだけで何とかやってきた。



そんな自学スタイルは、中学生から始まったのかというと実は違う。



その原点は小学生時代にあったのだ。














小学校高学年の頃。



それまではすべての授業を担任の先生がしていたが、教科数が増えていく中で特定の教科を別の先生が行うことが増えていった。



主に社会や理科など、こういったことはどこの小学校でもよくあると思う。



しかし、その授業が問題だった。



授業を担当するのは、偉い立場でもないのに担任するクラスを持っていない先生や、ほとんど教育実習生のような新人ばかり…



つまり、何かしら問題のある人ばかりだったのだ。



こうなってしまうと授業崩壊は避けられない。



ましてや扱うのが難しい高学年だから、問題が起こるのは当然の結果だった。



単に教えるのが下手ということもあったが、いずれにしろ展開されるのは価値の無い授業ばかり。



生徒も暴れるばかりで、私は苦痛な時間を強いられていた。



この無駄で嫌な時間を乗り越えるにはどうすればよいのか…



そう考えていた私は、あることを試してみた。



それは、先生の授業を聞かずに勝手に勉強を進めること。



授業があまりにも遅くて退屈だった私は、授業が崩壊して誰も私など見ていないのをいいことに、勝手に勉強をしはじめたのだ。



とは言っても、やることは単純だ。



自分のペースで教科書を読み進めていき、ある程度読み終えたらその部分をノートに丸写しするだけ。



レイアウトや色使いまで教科書に揃えて、脳死状態で書き写していくのだ。



今考えたら非効率極まりない作業だが、一瞬でも苦痛な時間を忘れて自分の作業に没頭できるのがささやかな幸せだった。



当然、静かにしているから怒られることもないし、きれいにまとめていくのが楽しかった。



面白いことに、その教科の成績が他に比べて高いこともあった。



ここに私は価値を見出した。



もしかしたら、普通に授業を受けるよりも自分一人で勉強していったほうが効率よく勉強できるのでは?



それまで何も自習をして来なかった私が、初めて自習をしてその価値に気づいた瞬間。



私は人と違うという意識がすでにはっきりあったので、ためらいもなくこんなことが出来た。



孤独が大好きで、〇〇先生と呼ばれるくらい賢いというプライドがあったので、自分は間違っていないと思っていた。



そこに授業崩壊という偶然が重なった結果、私の自学スタイルは生まれたのだ。



そして、一人で自学を進めていった結果が今に至る。



私の勉強の原点は、皮肉なことに最悪な授業から生まれているのだ。

高校での勉強における心構え

それは、一つのことを粘り強く続けることだ。



参考書一冊すら完璧にできないまま、あれもこれもと手を出す高校生はよくいるが、そんなことは決してしてはいけない。



また、すぐに結果が出ることを期待してはいけない。



勉強した成果がすぐに現れるのは中学生までの話だ。



何か大きな成果を出そうとしたら、最低でも半年はかかると思っておけばいい。



長ければ1年かかっても不思議ではないし、私のこれまでの勉強でもそうだった。



この心構えが出来ていない高校生が多すぎる。



逆に言えば、このことさえ分かっていれば高校の勉強で大きく頭抜ける可能性が高くなる。



分かっていてもできない人は、忍耐力と粘り強さが足りないのだろうか。



変なところでせっかちになると、こういう所で痛い目に遭ってしまうと思う。



多くの高校生だけでなく、自分自身への戒めとして。

中学校の進学実績が(比較的)優秀だったのは…

私の通っていた中学校は、多くの記事で書いた通り荒れていてレベルの低い所だった。



当然、私が今通っているトップ高への進学者も少ない。



割合で言えば、年ごとで大体100人に1人くらいしか進学しない。



酷いときは、学年で1人しか進学しなかったこともあるくらいだ。



地理的には十分通学できる位置にあるのに…



一つ上の代では、せっかく進学したのに中退してしまった人もいる。



そんな酷い進学実績を誇る中学校だが、私の代は少し違った。



なんと、クラスに1人くらいの割合でこのトップ高に進学する人が出てきたのだ。



この高校に限らなくても、2番手校などレベルの高い高校に進学する人が例年より多かったし、不合格になる人も少なかった。



私の通う高校の志望者は、志望変更した人を除けば全員が合格した。



なぜ、中学校の私の代は優秀だったのか?



おこがましいかもしれないが言おう。



それは私がいたからだ。













これは一体どういうことなのか。



私は、良くも悪くも勉強に特化した人間だった。



小学生の頃から勉強ができるせいで〇〇先生と呼ばれ、いつも成績は一番。



それ以外のこと(特に運動)は一切できず、性格も変わっていていつも一人でいる。



要は、典型的なガリ勉だったわけだ。



そんな私は生徒会の役員だったこともあり、友達が少ない割には目立っていた方だった。



なので、学年全体に勉強に関して良い影響を与えられたのではないか。



私が他の代の学年トップより頭が良かったとは思わないが、勉強のできる人というイメージは強い方だったと思う。



学年トップの中にも、勉強のできる人というイメージが嫌でそれを隠したり、勉強以外のことも何でもできたりいろいろな人がいる。



特に、前者に関してはあのようなレベルの低い中学校ならよくあることだ。



私みたいに孤独を望むような人でなければ、勉強ができることで避けられるのは嫌だろう。



しかし、私はそのどちらでもなかった。



どれくらい優秀なのかはさておき、とにかく勉強ができるというイメージさえ強ければ、それを見た他の人は影響を受ける。



特に、私に続く学力、すなわちトップ高に届くかどうかというような学力の人には影響を与えられたと思う。



もちろん本人の努力が一番だとは思うが、微力ながら私も力を与えられたのかな…?と感じたのだ。













ここで伝えたかったのは、環境による学力の変化だ。



やはり、レベルの低い中学校からトップ高に進学できるのはほんの一握りである。



しかし、環境が少しでも改善されれば可能性は一気に変わっていく。



中学校の進学実績が(比較的)優秀だったのは、環境の変化によるものが大きいだろう。

修学旅行、中止

冬休みが明けた。



2年生の3学期に突入し、いよいよ私たちも受験生なのかと感じた。



しかし、今日書きたいのはそんなことではない。



タイトル通りなのだが、私の通う高校で修学旅行を中止することが伝えられたのだ。



正直、予想はしていたが…



本来なら海外に行くはずだった修学旅行を延期し、行き先を国内に変え、期間を短くして多くの2年生が待ち望んでいた。



しかし、あまりにもタイミングが悪すぎた。



感染が拡大している今旅行に行くというのは、なかなか厳しかったのだろう。



再延期は絶対に無いとのことなので、私たちの代の修学旅行はこれで本当に幻となってしまった。



学校側はかなり粘っていたと思う。



行き先の変更、延期に加えて期間短縮…



学校の判断が全て裏目に出てしまったようだ。



まあ、私の本心としてはいろんな事情があって修学旅行に行きたくなかったので、ラッキーとしか思ってないのだがw
(同級生には口が裂けても言えないw)



あ、でもキャンセル料はどうなるのだろうか…



全額返金されてほしいけど。



今年は色々な行事が潰れた。



学園祭を何とかできたのは運が良かったと思うが、しょうもない高2になったなーという印象だ。



普段なら、高校生活の中で一番楽しい学年だと言われているが…



来年度は、最終学年としてすばらしい年が待っているのだろうか。

2021年の始まりに

読者の皆様、あけましておめでとうございます🎊



2021年が始まりました!



2020年は辛い年でしたが、今年は素晴らしい年にできるよう私も頑張りたいと思います。



2021年も、「名ばかりJKの色々」をよろしくお願いします!

2020年の終わりに

もうすぐ2020年が終わる。



今年はこのブログを始めたことも含めて、いろいろなことが起こった年だった。



来年は、いよいよ受験生として勉強に励むことになる。



このブログも長くは続かない。



更新頻度が低くなることもあったし、今後はもっと低くなると思われるが…



それでも「名ばかりJKの色々」を閲覧してくださった読者の皆様、ほぼ1年間ありがとうございました!



そして、来年も「名ばかりJKの色々」をよろしくお願いします!

小6の平和

人の人生を変えてしまった小5が終わって、小6になった。



小6は、一言で言うと平和な時代だった。



人間関係が狂うこともなく、勉強につまずくこともなく〇〇先生として平和に暮らしていた。



恐らく、小学校6年間の中で一番良かった時代だ。



なので、ここに書くことは何もない。



色々あった小学生の頃も、最後は平和に終わることができたのだ。















以上で、「小学生のころ」シリーズは終了する。



波乱万丈だった小学生時代を、何とか年内に書ききることができた。



特に高学年の頃は、家庭の問題と重なってキツイことが多かったが、その辛さを乗り越えたからこそ今の私があるのだと思っている。



文章を書くことによって、自分の根幹に触れることができて良かった。